パルクールとは

パルクールの概要

フランス生まれの、走る・跳ぶ・登るなどの「移動動作」で心身を鍛える運動方法です。
街や森で、自由にスタートとゴールを決めて、障害物を越えることで体を鍛えていきます。

▼ パルクールは以下のモットー・精神によって構成された運動のことを指します

Etre et Durer.(理想の追求): 常に心身の成長を志し、自らの理想に向かって限界を超える続けること
Etre fort pour Etre utile.(強く有用で在れ): どんな状況でも動ける万能で実用的な心身を目指すこと

目の前の環境で自らの移動方法を探求する「芸術」として生まれ、ライフスタイルスポーツとして世界中で様々なスタイルで実践されています。パルクールの概念は広く、移動術、トレーニングメソッド、哲学として捉えることも出来ます。

パルクールの実践者の多くは、パルクールにおける移動の動作の練習を通じて己の機能性、体力、バランス、空間認識力、敏捷性、コーディネーション能力、正確さ、コントロール、創造的視点などを鍛えていきます。パルクールでは、このような身体および精神のトレーニングを通じて己の身体的、精神的な限界を理解した上で、それらの限界を克服する方法を模索していきます。また、パルクールの実践を続けていくことで、実践者はどのような環境においても自由に、かつ機能的に動くことのできる心身を得ることができます。

パルクールの幅広い実践者

先述の通り、パルクールとは、己の限界を理解した上で、それらの限界を克服するという性質が非常に強い運動方法です。そのため、現在パルクールは世界各国で運動能力や老若男女を問わず広く実践されており、幼児向けの運動教育や小学校を始めとする教育機関での体育プログラム、シニア向けフィットネスなど、幅広い年齢層の方が実践できる運動となっています。

パルクールの実践場所

パルクールは主に「スポット」と呼ばれる周囲の環境を利用して練習を行います。パルクールはどのような環境でも自由に、かつ機能的に動けるようになることを前提としているため、スポットに条件はなく、街中・公園・森・岩場など、いかなる環境もスポットになります。また近年ではパルクールパークやパルクールジムと呼ばれるパルクール専用の練習場所の整備も世界各地で進んでいます。日本国内では、関連法規や条例を守りつつ、多くの実践者が各地の公園、運動施設などのスポットや専用練習場所でパルクールを行なっています。なお、近年では多くのテレビCMや映画、ドラマなどで、パルクールの実践者によるビルの屋上から屋上へ軽やかに飛び移る行為(ルーフトッピング)の映像が利用されておりますが、こういった死亡事故の危険性のある場所での実践はあくまで特別な撮影許可を得た上での、パルクールで鍛えた心身を使ったパフォーマンス的行為であり、日常的なパルクールの実践は安全上および法律上の観点からルーフトッピングを推奨するものではありません。

パルクールの危険性に対する考え方

パルクールは移動能力の向上や弱点の克服を通じて心身の成長を目指す運動です。

危険な場所でのパフォーマンスやエンターテイメントを追求するアクションスポーツ・エクストリームスポーツでは決してありません。トレーニングとして安全に体を移動させる事が大前提にあり、能力を超えたチャレンジは無謀な危険行為となります。環境に応じた心身のコントロール、そして自らの限界を知ることによるリスクコントロールを重要視しています。

競技(スポーツパルクール)

本来は競争という概念はパルクールに存在しません。しかし、パルクール人口・ジムの増加とともに、パルクールの要素に特定のルールを設け、勝敗を決める新競技が考えられるようになりました。

それが「スポーツパルクール」です。
当初は練習会における実践者の交流を目的として作られたコンテンツです。

パルクールの裾野を拡大するために、パルクールとは異なる視点で、新たにパルクールを楽しめるように設計されたスポーツパルクールには、主に以下のような種目があります。現在では欧米諸国を中心に大会、選手権などが開催されています。なお、スポーツパルクールの目的はあくまで特定のルールの中でパルクールを楽しむこと、パルクールの裾野を拡大することであり、他者との競争を目的とせず自己の限界の克服を目指すというパルクールの本質的精神は変わっていません。

  • スピード(スタート地点からゴール地点まで設置された障害物を越えて行きタイムを競う競技)
  • フリースタイル(設置された障害物を利用して自由演技を行いその演技点を競う競技)
  • スキル(パルクールにおける移動技術の、正確性や反復性などを競う競技)

日本パルクール協会では、本質的精神の普及と理解促進を主眼として運営を行っております。

パルクールの独立性と他競技との関係

パルクールという自由運動において、動作で決まっているのは「移動」というコンセプトのみ。
シンプルな移動のみならず、よりハイレベルな身体能力を求めて各ジャンルのスポーツから動作を持ち込み、都市環境における効率性や自由度を高めた動きに変化しています(要素:ダンス・クライミング・アクロバット・カポエイラ など)。近年ではメディアの影響によりアクロバットがパルクールの象徴となっており、パルクール=アクロバットといった偏った認識が多く存在しています。

パジャッキーチェンた精神を持つ独立した運動方法であり、他のスポーツの一種目ではありません。

2017年、国際体操連盟(FIG)は突如としてパルクールの国際連盟となりワールドカップを開催すること、パルクールを体操の管轄種目とすること、また一度も公式な世界大会が開催されたことのないパルクールをオリンピック体操競技における1種別として提案することを各国のパルクール協会への事前の相談なく宣言しましたが、パルクールは独立した運動(スポーツ)ですので、体操競技とは一切関係がありません。この事案を受け、英国パルクール統括団体Parkour UKを筆頭に各国パルクール協会、パルクール団体および国際パルクール組織「Parkour Earth」より、国際体操連盟の行動を「不正であり侵害である」とする抗議の公開書簡が数多く提出されました。パルクールと体操は、お互いに練習施設を共有しうるスポーツ同士ではありますが、日本パルクール協会はParkour UKおよび国際パルクール組織「Parkour Earth」の考えに賛同し、「パルクールは体操ではない」「パルクールは独立した運動である」と考えています。

パルクールの歴史と名称

90年代、フランス郊外の街Lissesに住む若者たちの外遊びがパルクールのはじまりです。
彼らが住む街の壁や手すりを使った遊びやゲームに、Parcoursや様々運動の要素を仲間が取り入れ発展しました。

「ジャッキー・チェンやドラゴンボールのキャラクターのように強く在りたいと思ったんだ。」
創始者 Sebastien Foucan談

どんな場所へも行ける体と強い心を求めて行っていた運動はさらにハイレベルになり、屋根を飛び回るほどにまで発展していきました。

そしてパルクールの生い立ちに関わる大きな要素が前述の「Parcours」です。
ジョルジュ・エベルという元フランス海軍将校の体育教官が作り、第1次世界大戦、第2次世界大戦中のフランスの軍隊トレーニングのスタンダードであった「methode naturelle」というトレーニングメソッドにまで遡ります。「methode naturelle」は、歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる、投げる、持ち上げる、自衛する、泳ぐといった10種の基礎的運動群から成り立るトレーニングでしたが、この「methode naturelle」をベースに誕生したのが、「parcours du combattant」という障害物コース形式の軍事訓練です。

1939年、現在のベトナムであるフランス領インドシナにレイモンド・ベルが生まれました。戦争の犠牲者にならないために、少年レイモンド・ベルは、深夜誰も起きていない時間に起き、誰よりも長く、厳しく、ランニングや木登りといったトレーニングを続け、秘密裏に軍隊に設置された障害物コースでのトレーニングを続けました。その後、第1次インドシナ戦争が終わった1954年、パリで軍隊教育を受け続け、19歳でフランス軍の管理下におかれている消防士、サープル・ポンピエ・ドゥ・パリとしての職に就きます。

時代は過ぎ1973年、フランスの小さな港町フェカンにてレイモンド・ベルの息子であるダヴィッド・ベルが生まれます。1984年にパリ郊外の街Lissesに引っ越すも、当時経験していた陸上競技や体操競技では満足できなかったダヴィッド・ベルは、父レイモンド・ベルから「Le parcours」を教わりました。レイモンド・ベルは彼が過去に培った様々なトレーニングメソッドを全て包括する言葉として、「Le parcours」を用いていました。レイモンドの言う「Le parcours」を全て学んだダヴィッドは、その後、Lissesの町にてトレーニングを続けました。

Lissesでトレーニングを実践したのは、ダヴィッド・ベルだけではありません。ダヴィッド・ベルはセバスチャン・フォーカンなどの友人とともにトレーニングを続け、9人のメンバー(ダヴィッド・ベル、ヤン・ヌートラ、チャウ・ベル、ロラン・ピエモンテジ、セバスチャン・フォーカン、ギラン・ヌバ・ボイエク、チャルル・ペリエール、マリック・ディウフ、ウィリアムズ・ベル)から成るグループを結成しました。

この9人のグループは、1997年よりYAMAKASIを名乗り、パリでの様々なパフォーマンスショーに出演し、その結果、パルクールのアクション的な側面がエンターテイメント業界の中で注目され始めました。当時、YAMAKASIらは自分たちのやっているトレーニングを「L’art du déplacement(略称ADD・英訳The art of movement・邦訳 移動の芸術)」と称していましたが、その定義に関する不和や方向性などを原因にダヴィッド・ベルとセバスチャン・フォーカンはYAMAKASIを去り、Traceursを結成。1998年に「Parkour」という単語が新たに誕生しました。また、2003年にはイギリスのテレビ局Channnel 4で放送されたセバスチャン・フォーカン出演のパルクールドキュメンタリー「Jump London」の中で、英語圏の視聴者にこの新しい運動方法の概念を伝えるために「Freerunning」という単語が新たに誕生しました。

2001年に公開されたリュック・ベッソン監督の映画「Yamakasi」が世界に衝撃を与えてからは、2003年のChannel 4のドキュメンタリー作品「Jump London」、2004年公開のダヴィッド・ベル主演の映画「Banlieue 13(邦題:アルティメット)」の影響により世界中で注目を浴び、同時に世界各国で実践者が増え、世界中で実践されるようになりました。

しかしながら、映像作品に見られるパルクールのダイナミックな動きだけを真似した若者による高所からの落下事故や迷惑行為が相次ぐこととなりました。それらをきっかけに欧米諸国を中心としたパルクール指導団体の設立やパルクールパークの整備が進み、気軽にパルクールを始められる環境整備が行われるようになりました。